「私を魅了した自然農の世界」
家庭菜園に挑戦した私は、野菜を育てる方法はいろいろな方法がある、という事を知りました。
数冊買った様々な本の中に、私を魅了した本がいくつかありました。
「完全版 川口由一 自然農」という本もその一つです。
この記事では、私がなぜ自然農という世界に魅了されたのか、を綴ります。
この記事は、以下の本から引用・要約し、私の考えを述べました。
自然にある様々なもの一つにも畏敬の念を抱き、大切にしている
私がなぜ、この本を読んで惹かれてしまったかというと、
自然にある様々なもの1つにも畏敬の念を抱き、大切にしているから、です。
神様がお作りになったありのままの世界、自然。
一つ一つがかけがえのない存在であり、唯一無二の存在。
色々な多様な存在が、大きな1つとして調和している。
この自然を大事にしているという事は、愛に満ち溢れた世界を大事にしているという事。
この調和された世界を見て、私は地球全体でも人間界でもそうであってほしい、と思います。
人は色々で同じ人はいません。
できる人できない人、弱い人強い人、男女、老人子ども。。。。。。
どんなにダメだと言われる存在でも、
ただいるだけで喜びを感じられるような、そんな世界であったらいいなあ、と思います。

ダメだから排除するとかではなく、持ちつ持たれつ1つに調和した世界が、
私の理想だと思ってしまいました。
自然農で作られた畑と、今生きている人間の世界をリンクさせて、考えてしまったのです。
ですが現実、そのような農薬などをつかわない農業は生産性が低く、
事業としては成り立たない、という事も聞いたこともあります。
ですが家庭菜園なら、とりあえず自分たちが食べる分だけでも、
農薬や肥料を使わず作ってみてもいいかもしれない、と思いました。
多様なものが一つに調和した、美しい世界

自然農の畑では、ありのままの自然の力で、全てが生き生きと光輝いています。
鳥や蝶や虫が訪れ、地中ではモグラやダンゴムシやミミズが、土を耕します。
土を枯れ草や落ち葉が覆うと、虫たちの大事な住かになります。
虫たちの糞や枯れ草や落ち葉は、土の養分になりますます植物は生長するでしょう。
そのようなすべてが生き生きとした世界は、美しいなあと思いました。
- 耕さない土は豊穣な畑になる。
- 人の手で土は作れず、土はおのずと豊かになる。
- 幾多の動植物の亡骸の層を舞台に、草、小動物、作物が今を生きる。

耕さない畑では、土の中で生物が増えて動き回り、細かい範囲で耕してくれる。
耕さないことでミミズやダンゴムシ、目に見えない微生物などが働いてくれるのだ。
また、生物が食べたり糞をしたりすることは、土を作ることにつながる。
植物の根が生長することで、耕してくれることもある。
つまり人が耕さなくとも、全て自然がやりすぎない程度にやってくれるのだ。
自然界と同じように、自然の畑の土は幾多の動植物の亡骸の層で覆われている。
この舞台の上で草や小動物、そして作物が今を生きるのだ。
どのような小さな存在でも、生き生きと今を生きている。
多様な存在が働きをなし、一つの調和された美しい世界を作っている。
それこそが神様のお作りなった世界、愛のある美しい世は、私の好きな世界です。
このような愛のある美しい世界に身を置きたいなあ、と思ってしまいました。

自然農とは、何か?
自然農は、今でも賛否両論あるかもしれません。
かなりマニアックなので、知らない人も多いかもしれません。
以下に簡単に、自然農について、上記の本から引用・要約したものを綴りました。
自然農とは、化学肥料や農薬を一切使わず、草や虫を敵としない農法です。
自然に任せておき、生命たちの力で土を柔らかくしていくことで、
多くの生命が暮らす楽園となります。

そのために、自然農3原則というものがあります。
自然農3原則
- 土を耕さない
- 農薬肥料を持ち込まない
- 草や虫を敵にしない
土は耕さない・裸にしない
耕さない畑は「豊穣の世界」、耕した畑は「不毛の地」。
自然界の大地では沢山の動植物・微生物が暮らし、命の循環(生死)を繰り返している。
その大地には、必ず枯葉や朽ち木、小動物の排泄物、動植物の亡骸の層があり、
土はむき出しになっていることはない。
自然農ではそのような自然界の亡骸が糧になり、作物たちは健康に育つことができるのです。
一方、それまで耕し肥料を与えられた大地は、
耕すことで多くの生物は殺され、亡骸の層も破壊され失われてしまう。
むき出しにされた土は太陽にさらされ、どんどん乾燥しカチカチになり、
また耕さなければならないという悪循環に陥ってしまう。

農薬・肥料は持ち込まない
耕さず自然に任せておけば、土はやがて豊かになる。
その時その場所にふさわしい動植物や微生物を、自然界がバランス良く配してくれる。
人間がそこに何かを持ち込むと、バランスは崩れる。
ただし地力が弱い所は養分過多にならないように、以下のものを土中に埋め込まず、
作物の近くの草が生えているところに振りまくことはある。
野菜くず、米ぬか。小麦のふすま、油かすなど。

草や虫を敵にしない
草も虫も敵ではなく、欠かすことのできない命の一員。
養分を生み出し亡骸は次の命の糧となり、土を豊かにしてくれる。
ただし必要な時は、作物が負けないように草を刈り、虫を捕殺することはある。
人の手による捕殺や除草程度なら虫や草が全滅することはなく、バランスが崩れることはない。
農薬で一掃しようとすると、生態系を崩してしまう。

川口由一さんの自然農へ至る道は、自分の人生を生きる道
このような素晴らしい自然農を確立し実践した川口さんですが、
ここに行きつくまでに、様々な葛藤があったようです。
もともとは農家の子供として生まれ、16歳でプロの農民になりました。
当初は自然から大きく離れない農業でしたが、時代の流れもあり、
いわゆる現代農業を営むようになりました。
現代農業とはいわゆる一般的な農業で、
農薬、化学肥料、除草剤を使い、石油を用いる機会化農業です。

つまりひたすら多くのものを収穫し、多くの収入を得ようと目指した時期もあったようです。
ですが除草剤を使い虫がのたうちまわって死ぬ姿を見て、心身を壊してしまいます。
その時川口さんは、農薬の恐ろしさや、自分の心身が壊れた原因を見出すようになります。
そして一切、心身を悪くする農業をやめ、自分達家族が食べられる分だけ作ろうと決心します。
しかし今まで耕して農薬を使った畑で自然農を実践しても、
ほとんど作物が育たず、収入は数年間ゼロだったようです。

それでも、草一杯の田畑に身を置いた時はとても心地よく、
自分が田畑の状態に応じることができれば、作物は必ず育つようになると確信されたようでした。
それから福岡正信さんの「自然農法 わら一本の革命」などを勉強し、
試行錯誤を繰り返します。
福岡正信 (1913年~2008年)
「不耕起」「無肥料」「無農薬」「無除草」を4大原則とし、播種と収穫以外には何もしない究極の自然農法に取り組む。
「自然農法 わら一本の革命」は20か国以上に翻訳されている。
そして自分の農法を確立する途中で、
周囲から「奇異なもの」として批判や攻撃を受けたこともありました。
ですが、自分がやっていることは正しいとは主張せず、ひたすら謝り続けたそうです。
なぜなら、本当に自然農を川口さんはやりたかったからです。
そして段々と、周囲の理解を得られるようになりました。
そして数年後、畑の力が増していき、作物は育つようになりました。

しかし、従来の農法で農業を営んでき母親からは、命がけの反対を受けたそうです。
「作物が育っても育たなくても、近所の人と同じ農業をしてほしい。」と。
しかし川口さんは下記のように決断をします。
母親の人生は、母親の選択。
自分の人生は、自分の選択。
母親の思いに沿う事はせず、自分が納得する生き方を選んだ。

私自身、従来の農業の野菜を買って、食べています。
ですので、それを否定するわけではありません。
ですが、もし少しでも自分が何かできるのなら、
できる範囲で、理想とするものを目指してもいいのではないか?と考えました。
また、川口由一さんの生き方にも、感銘を受けました。
間違いなく、自然農は農薬も使わないので、人の心と体にはいいはずです。
本来持っている自然の力を取り戻すことになるので、地球にも優しいと言えるでしょう。

また、人に対して、食べるものに対して、それを支える存在に対して
愛を感じられたので、私は惹かれてしまいました。
私の心に響いた川口由一さんの言葉
上記の本を読んで、私の心に響いた一説をいくつか紹介します。

基本は何もできなくても、人の役に立てなくても良いのです。
「自分の存在そのもの」が喜びだからです。
誰かの役に立たないと喜びを得られないというのはまだ不十分で、本当の在り方ではありません。
自分の存在の喜び、真の安定は、他との関係で成り立つ相対的なあり方ではなく、
「絶対界」に立たなければ得られません。
そのためには孤独の対象として何かに依存することなく、
一人で立つことのできる精神の強さを養わなければなりません。
いかなる分野で生きるおいても、基本となる能力です。

これを見た私は、
前記事で書いたエリクソンの本「生き方の道標 エリクソンとの散歩」の中の一説を思い出しました。
「自分の存在が喜びそのもの」というのは、しっかり自己確立ができていることを表しています。
自己確立がしっかりできた人は、周りのどんな圧力を受けても、
決して自分を見失わないという事です。
例をあげれば、
日本の戦時中に「戦争反対」と、しっかり声をあげることができた人がいました。
当時そのような状況で、このようなことを言うのは、まさに命がけのことでもあります。
下手したら捕まってしまう恐れもありましたので、そのようなことを言う人は稀だったのです。
その人は、しっかりと基本的信頼感を構築できた人だと、言われています。
つまり小学生になっても、お母さんのおっぱいにぶら下がっていた、
母子間の絶対的な信頼関係を構築できた人とも言われています。

基本的信頼感や自己の確立について、興味のある方は下記の前記事をご覧ください。
すべての命は自ら誕生して栄え、自ら消えていきます。
誰かが計画し、采配を振るっているわけではありません。
つまり、自ら然らしむるものであり、そうするしかないのです。
命が生まれ、栄え、いつかは消えていく。
これは誰の意志によるものでもなく、神の意志によるものです。
ただ、それを受け入れていくしかないのです。

人類は、未だ持続可能な生き方に至っていません。
私たちが経済優先の消費文明を続け、「足りないからもっと、もっと」と大量に使ってしまえば、いずれ環境に大きなダメージを及ぼします。
このことに我々は早く気付かねばなりません。
貪らず、足るを知ることです。
必ず道はあるけれど、見つけるのは難しい。
人類が今まで経験したことのない「今」です。
一人ひとりが命の道、人の道、我が道を見いだせたなら、
後は自分が育って能力をつけてゆけば楽しくなります。
我々人類はこれまで先人たちが培ってきた叡智を集め、
真の平和、真の幸福の道に至る道を必ず見出せるはずです。
長年試行錯誤しながら、自分の農法を確立した川口さんの見た先は、
全人類の真の平和、真の幸福の道でした。
とてもスケールの大きい話になったなあ、と思いました。

結果、私はこのようなことに感動し、完璧にはできないかもしれないけど、
自然農を目指していきたいと、思ってしまいました。
作物が収穫できようができまいが、この自然の理に即してやっていったら、どうなるのだろうか?
それを経験したい、と思ってしまいました。
今回も最後までお読みいただき、ありがとうございました。
