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私が好きになった当時の夫は、危険人物?

2023年1月25日

この記事では夫が結婚前にどういう人だったのかを綴っていきます。

やはり幼少期の環境が、その人の人格に与える影響は大きいと思います。

大変恥ずかしいのですが、結婚前の夫の目上の人からの評判は悪いです

はっきり言えることは、結婚して色々な困難を乗り越えて、

夫は変わったなあと思います。

やはり私も含めて、困難を乗り越えると、人は成長するんだなあと思います

結婚は避けておいた方がいいと言われた夫

当時の私は、夫と結婚することに迷いはありませんでした。

私が熱を上げてしまっている状態なので、

冷静に夫のことを見ることができなかったのかもしれません。

強いてい言えば、夫はカッコいいので女性にもてるだろうなあ、

という心配はありました。

親や親せきは、夫のことを危なっかしいと思っていたようです

なぜか?と聞いても、

「まだまだ大人の男性というよりは、子供のようだからうちの家と合わない気がする。

としか答えが返ってきませんでした。

雲と男女

私はそう言われても、ピンときませんでした。

ただ、好きであるという事には変わりはありませんでした。

結局両親は、

「あなたが好きなら仕方がないね」という感じで結婚を認めてくれました

当時の私から見た夫の人物像

短所

  • 普段はあまり怒らないけど、一度怒ったら手がつけられない。
  • 難しい話をしたら、あまり理解できない、感覚タイプ。
  • 売られたケンカは必ず買って、ケンカは絶対に負けないと思っている。
  • 人にどう思われようとも、自分の意思ははっきり通す。
  • プライドは高い。
  • 風邪をひきやすい。
  • 料理ができず、食事は全て外食。
  • 車の免許や車を持っていない。

足と猫

長所

  • 小さい子や動物には特に優しい。
  • いつもデートはおごってくれ、家まで送ってくれた。
  • 真面目に働いて給料は稼いでいる。
  • 電話もまめにしてくれて、落ち込んだ時は寄り添ってくれる。
  • 仕事以外にも趣味の格闘技を頑張っている。
  • 洗濯、ゴミ出しはきちんとやって、部屋は割と綺麗。

私の感じたまま、夫のことを書いてみました。

今になって思うことは、時が変われば、

長所は短所に短所は長所になりうるという事です

私とはまるで違う、大変だった夫の幼少期

付き合って結婚までの途中に、私は夫の実家にあいさつに行きました。

私の両親が夫を評価したように、

私もきっと夫の両親に何かしら評価されるのでは、と思っていました。

ですが、全く私がどうであろうと関係ないようでした

「息子がいいと判断したのならその人でいい」という感じでした

そして色々と夫がどのように育ってきたか、夫のお母さんから話をききました。

夫も覚えていたことを話してくれました。

幼少期、夫の記憶にはっきり残っているのは「1人で寂しかった」

「小さい頃の思い出は何かあるの?」と私が聞いた時、夫は言いました。

「2,3歳のころかな、夜になるといつも両親は家にいなくて、暗闇の豆電球を見て寂しかった。」と

豆電球

夫の両親は中卒で、若くして結婚しました。

ですが父親が借金の保証人になって、

保証人としてお金を返さなくてはならない状況になったようでした。

ですので、必死に両親は夜になると夫を寝かしつけ、働きに出ていたようでした

夫の父親は短気で、理不尽に夫を暴力でしつけていた

今でこそ、夫の父親は普通のおじいちゃんとなりましたが、若い時は大変だったようです。

妻である夫の母親に対しては暴力は振るいませんでしたが、

気に入らないことがあると激しく怒っていたそうです。

握りこぶし

仕事場でもケンカはしょっちゅうだったそうです。

夫が生まれてからは、「叩いて教えないと子供はわからない。」

と間違えた考えを持っていたそうです

おそらくおじいちゃんも、そのように育てられてきたようです。

夫曰く、「いつも理不尽に父親に叩かれていた。」と。

夫が小学生の時に弟が生まれた

夫の母親は、とても愛情豊かな人でした。

夫と同様、子供や動物は好きなようでした。

しかも父親の保証人としての借金を二人で返済するために、必死に働いて支えてきました。

とても働き者の母親です

弟が生まれると、両親はよく弟を可愛がったそうです。

その時、父親の暴力によるしつけはなくなったそうです

きっと夫は疎外感を感じていたことでしょう

私も長女なので妹が生まれたら、「妹よりも可愛がられていない」とよく思ったものです。

自分には暴力を振るって、弟には振るわない父親に、

夫は不平等だと思っていたそうです。

小学校では特に目立った子供ではなかったようです。

ただお母さんに似て、運動神経は抜群だったようです

弟とは年が離れているため、特に仲良くはなかったそうです。

段々と目立つようになり、ヤンキーとしてどん底を味わう

中学生では、バスケットが上手くなり、女の子の注目を浴びるようになった

この頃には、もって生まれた美形が目立つようになったと思われます。

勉強は数学と体育だけが得意だったそうです。

部活はバスケットで、地区の大会では強豪チームの一員として活躍したそうです。

この頃からギターのベースを始めて、バンドを組んで学園祭で演奏したそうです。

バスケット

この頃には一定の女の子のファンがいたそうです。

何人か手紙をもらったりして、個人的に付き合った女性もいたそうです。

全く、私と違う境遇です。。。。

進路は迷わず船員養成学校へ進学するも、ヤンキーとなり留年する

夫は実は、小さい頃から船員になると決めていたそうです

小さい頃、港によく船を見に行っていたそうです。

その船のかっこいい制服を着た船員さんたちに、とても憧れを持っていたという事です。

だから迷わず船員養成学校へ入学しました。

実務的な学校なので就職率は普通の高校よりは高いです。

ですが、なかなか今でも、ちょっとガラの悪い人たちも集まるようです

船員

夫はこの頃から、バイクの免許を取りバイクに乗るようになりました。

禁止なのに陰ではタバコも吸っていました。

バスケットはやめて、ボクシングや空手を始めたそうです。

そしていつも売られたケンカは買うようになったそうです。

段々とケンカに明け暮れるようになり、留年してしまいました。

警察のお世話になったり、町中であいつは怖いと、噂が立つようになりました。

この頃から父親との力関係は逆転してしまいました

確かにこの頃の、夫の写真を見せてもらいましたが、もろヤンキーです。

目は吊り上がり、髪はリーゼント、全く人相が違います。

窮地にたたされ、自殺未遂をしたらしい

夫が学校を留年すると、更に夫の非行は加速したそうです。

夜中にバイクを乗り回し、町中のヤンキーとケンカに明け暮れる毎日。。。

そしてとうとう、集団リンチにあい、倒れる寸前に家にたどり着いたそうです。

そしてその夜、「俺の人生しょうもない!!」と思って風邪薬を大量に飲んでしまったそうです。

苦しくなって気を失って、でも気が付いたら、生きている自分がいたそうです。

上半身裸の男

そして学校から、両親は呼び出され、

このままでは退学になりますよと言われたそうです。

学校の先生も、両親も、このままでは人生棒に振るぞ!と必死で夫をさとしたそうです

そしてやっと、夫にスイッチが入り、それからは寝る間を惜しんで猛勉強。

進級試験に合格し、国家資格も取ることができ、無事卒業し就職できました

女性との交際は、いつも長続きしないらしい

夫は親元から離れ、旅客船を運行する船会社に就職しました。

一人暮らしを始め、心寂しかったのか、就職先の同期の女性と付き合ったそうです

どちらもお年頃なので、当然結婚の話はあったそうです。

ですが、相手の女性も気が強く、夫も気が強く、些細なことでケンカが絶えなかったそうです

結婚の話が出てきたとき、相手の女性の家にも出入りをしていたそうです。

しかし、そこの両親からの評判も悪かったようで、結婚は反対されていたそうです

そこの両親と夫の関係もあまり良くなく、この女性とは別れるようになったそうです

男女対立

夫が女性と付き合った数は、私が男性と付き合った数よりはるかに多いです

いつもケンカ別れして、長続きしなかったそうです

このことを知ると、きっと誰もが、「結婚はやめておいた方がいいのでは。」と思う事でしょう

確かに、、、夫との結婚生活は、平穏安泰な結婚生活ではなかったです。

男を見る目もなく、夢見る夢子だった若い私は、危険な夫を選んでしまいました。

色々な不安要素があったとしても、夫を好きだったことには変わりありません。

本当に人を好きになるって、理屈ではないです。。。笑

今回も最後までお読みいただき、ありがとうございました。