船にパルスオキシメーターがないなんて、ありえない。一刻を争う事態なのに。
コロナ感染が疑われる船員がいる場合、どうするのだろうとネットで調べてみました。
船は、すぐに最寄りの港にある保健所に連絡をして、その指示に従えとありました。
コロナ対策、対策というのなら、体温計、パルスオキシメーターは必須です。
その時この船は、宮城沖を航行していました。
夫に電話すると、
他の船員と隔離するため、自室に閉じこもっているとのこと。
のども痛く、異常な寒気と、倦怠感で食事もできず、水も飲むのがやっとのこと。
熱は何度?と聞くと、体温計がないとのこと。
はあー?、と思いました。
具体的な数値もわからないなんて、命とりだと思いました。
船に体温計はないのか?パルスオキシメーターはないのか?と聞きました。
体温計だけはあるはずのことで、パルスオキシメーターはないそうです。
とにかく、熱を測ってと言いました。39℃とのことです。
電話で話すと、痰が絡んだような声で、話すのも辛い状況でした。
もう早く早く、一刻も早く上陸して、と願いました。
こんな時、陸にいれば、もっと早く対処してもらえたかもと思いました。
とても、もどかしい思いです。
そして私は、妻として責任を感じました。
どうして、夫に体温計とパルスオキシメーターを持たせなかったのか?
馬鹿な自分を悔やみました。
そして今は、周りを当てにせず、自分で守らなければならないと思いました。
発症から5日の9月1日、やっと入港できるか?
そして、発症から5日の9月1日に、宮城港に入港予定と連絡がありました。
良かった、と思ったのも束の間、宮城港にはなぜか入港できせんでした。
理由はわかりません。
保健所が対応できないのか、船の諸々の事情があってのことかはわかりません。
なんで?と言っても、わからないとのこと。
夫は、そんなことも何も考えられない状態です。
もうただ耐え忍ぶしかできない状態でした。
私は、何も手につかず、何とか早く早くと祈るばかりでした。
発症から6日の9月2日、やっと保健所がくる。でもすぐには医療的措置は受けられない。
そしてやっと発症から6日目の9月2日に千葉港に入港できるようになりました。
保健所が来て、船員全員にPCR検査しました。船員14人のうち8名が陽性だそうです。
気になる夫の体調は、熱は39℃、酸素飽和度は93%でした。
もう酸素吸入が必要な状態です。
一刻も早く対応してほしいと、思いましたが、PCR検査は翌日の14時にしかわからないとのことです。
はっきりするまでは、医療的措置は受けられない。とのことです。
それまでは、解熱剤で耐え忍んで、とのことでした。
発症から7日の9月3日、夫は正式にコロナ感染者となる。酸素飽和度91%
8月中旬の千葉県のコロナ感染者数は、最高値をたたき出していました。
その理由で、病床はひっ迫しており、入院を待つ自宅療養者が多数いる状態でした。
テレビでも、入院が必要だけど受け入れ先がない、という報道が何回もありました。
もう、私はこのままだと、夫は悪くなるばかりだと気が狂いそうでした。
発症から7日の9月3日14時、正式に夫はコロナ感染者となりました。
そして、船の会社からも私に連絡がありました。
17時に、受け入れ先が見つかったので感染者全員移動します、と。
この時、夫は電話でまともに話せない苦しい状態でした。
でも、これだけは言っていました。
「もう入院しないと悪くなるばかりだ」と。
その時の酸素飽和度は91%でした。
酸素飽和度91%、なのにホテル療養、終わった。。。
早く、何か対処してと願うばかりでしたが、受け入れ先はホテルでした。
ホテル療養とは、コロナ感染者の無症状者、軽症者が療養するところです。
医療的な措置はないです。
ただ看護婦さんがいて、熱や酸素飽和度を測って管理はしてくれます。
食事や飲み物は時間になったら、自分で取りに行くそうです。
夫はこのホテル療養者の中で一番の重症者でした。
ですので、夫は2時間ごとに、看護師さんに熱や酸素飽和度を報告していました。
熱も高熱が出て、きついので解熱剤はずっと飲んでいるようでした。
まさしく夫は入院が必要な状態なのに、どうなるだろう、と不安が募るばかりです。
もう、終わりかもしれない、そんなの嫌だ嫌だ。
私は、何も手につかず、眠ることもできません。
色々なことを考えて、気が狂いそうでした。
それを打ち消すために、ひたすら祈ることしかできませんでした。
今、この状況で私にできることは、祈るのみです。
次の記事はコチラ↓
自宅療養中に容態が急変して、入院先が見つからず亡くなりましたの報道で気が狂う。
おすすめ記事はコチラ↓