無理にでも幼少期の幸せを思い出すメリットとは?
妹が生まれてから、私はずいぶんと長い間ネガティブな感情を持ち続けていくことになります。
また、幼少期においては両親のその子に対する思いや、声掛けもかなり影響があるそうです。
そのことで、私は、ますますネガティブな感情が増大するような人生を歩むことになります。
なぜなら、その時の自分の在り方や幼少期における両親の言動が、
それに応じた未来を引き寄せるなんて知りもしなかったからです。
でも今は違います。
私は、今の自分の在り方が未来を引き寄せることを、知りました。
だからあえて、嫌だったことばかりだけでなく、
幸せだった思い出を探っていこうと思います。
幸せだったことを思い出せば、本当は自分が恵まれていることに気付くはず。
当たり前ですが、人生には良いことも悪いこともあります。
引き寄せの法則を知った今では、
幼少期のネガティブな感情ばかりを思い出すだけでなく、
あえて幼少期の幸せだったことも探りながら思い出していこうと思います。
なぜなら幸せだった出来事を思い出せば、幸せな気分も感じることができます。
幸せを感じたならば、誰もが、「あー本当に良かった。私って恵まれているなあ。」
と思えることでしょう。
自分がこんなにも恵まれていたと思えるならば、
そこに感謝が生まれる可能性があります。

もし、その小さな幸せに感謝ができたなら、
不満ばかり感じていた自分が、感謝ができる自分に変わっていくことになります。
つまり、自分の在り方を変えられる可能性があります。
もし、自分が小さな幸せを見つけて本当にありがとうと思えるならば、
幸せな未来を引き寄せ始めることでしょう。
探っていってわかった私の幸せだった幼少期。
人によってはもう幼少期のことなんて、
過ぎ去った過去だから覚えていないということもあるでしょう。
もう私も50数年生きてきましたので、幼少期の思い出も大半は消えつつあります。
それでも振り返ってみると、記憶に残っている場面があります。
思い出せなくとも幼少期のアルバムを見てみると、当時の場面が思い出されます。

幼少期はやはり、両親、兄弟、祖父母からの影響が大きいでしょう。
それぞれのかかわりで幸せだったことを思い出していきます。
祖母との思い出。
- 祖母は朝早くから市場に働きに出る。帰ってきたらいつも私と一緒にお風呂に入った。 (きれいにしようと、ごしごしと痛いぐらいに私の体をタオルでこすってくれた。)
- 着物が好きな祖母は、七五三の着物や浴衣を作ってくれた。
- 私と接するおばあちゃんは、いつも笑顔だった。
- 母方のおばちゃんに会いに行くと、仏壇の前で「お観音様がいつも守ってくれているよ」と私の手を撫でてくれた。
父との幸せだった思い出。
- 一緒に遊んでくれた思い出はないけれど、チョコレートやおもちゃを買ってきてくれた。
- 抱っこされて、ほっぺにチューをされた思い出がある。
- かんしゃくを起こして泣き叫ぶ私の姿を、父はモノクロ写真に撮っていた。
- 鏡の前でうっとりする私を、父は写真に撮っていた。
- 遊んだ思い出は少ないけれど、3人兄弟の中で一番私の写真が多い。
- 家族でお祭りに出かける時に、私を肩車してくれて、私は嬉しかった。
母との思い出。
- 母は家事をさぼることもなく、私たち子供が心地よく暮らせるようにしてくれた。(生活していて困った記憶がない。)
- 可愛い花柄の生地でレースやフリルの付いたワンピースを何枚も作ってくれた。
- 母の手作りのおやつがとてもおいしかった。 (プリン、カスタードクリームのどら焼き、バターと砂糖で作ったキャラメル)
- 母の作った牛乳で作ったポタージュスープが忘れられない。 たまに無性に食べたくなる。 (玉ねぎ、にんじん、ベーコン、じゃがいも、ローリエ、をホワイトソースで煮込んだもの。)

そしてはっきりと記憶に残っているのが、
私の初めてのおつかいの記憶
夏の暑い日、私はなぜか初めてのおつかいに行った。
家から石段を下って、下ったところに小店がある。
そこにお金を持って行って、アイスクリームを2つ買った。
私のは棒のアイスバー、母のはカップのバニラアイス。
アイスを買った帰り道、
道をふさぐように大きな見たこともないへびが、横たわっていた。
私は怖くて、立ちすくんだ。
時間はどれくらいたったかはわからない。
まもなくして、へびは草むらに消えていった。
私はかけ足で家に帰った。
家に着くと、母が「よく頑張ったね。」と笑顔で抱きしめてくれた。
でも、私のアイスはあとかたもなく、ぐしゃぐしゃだった。
手はベタベタだったので母がタオルで拭いてくれた。
母は、母のカップアイスをスプーンですくって、私の口に放りこんだ。
おいしい?と聞いて私がうなずくと、母はほとんどのアイスを私に食べさせてくれた。
私は子どもながらに、お母さんのなくなっちゃう、、、と思っていた。
でも母は笑顔で「おいしかったね。」と言った。
妹との思い出
私よりも妹の方が人気があるのは感じていたが、
兄弟で暮らすともちろん楽しいこともあった。
あまり思い出せないが、一つだけ妹と笑い転げた思い出がある。
私の両親はたまに、クラシックや映画音楽のレコードをかけて聞いていた。
その音楽はハンガリー舞曲第五番(ブラームス)。
いつしか妹と、座布団の周りをぐるぐると、追いかけっこするようになった。
この音楽の遅くなったり早くなったりが面白かった。
急に止まってぶつかったりするのが面白くて、妹と笑い転げていた。
その時初めて、妹といるとなんだか楽しいなあと思った。
幸せだった環境
- 祖母の家での暮らしは、三人の大人に囲まれて静かだった。
- 離島に引っ越してからは、父の社宅に住む他の家族の子供たちとも、遊ぶこともあった。
- 離島は自然がいっぱいで、社宅の裏山にはキジがいたり、馬がいたりした。
- 社宅のそばには川が流れていて、タニシをとったり、数珠玉の数珠をとったりした。(数珠玉をいくつか入れて母にお手玉を作ってもらった。)
- 何よりの魅力は海がきれいなこと、砂浜も白くて貝がらが沢山あった。
- 夏になると、専業主婦の母たちは、毎日のように子供を連れて海水浴に行く。
- すきとおる海の中には小さな魚やヒトデがいて、生き物に出会うのも楽しみだった。
- 母は私を離島にいる間に、泳げるようにしたかったようだった。
- 私は浮き輪をつけて浅瀬の海にぷかぷか浮いているのが、何よりも心地よかった。(波の音、サラサラの柔らかい砂、ギラギラな太陽、塩辛い海の水)
- 一番ワクワクしたのは、色々な植物や動物に出会うことだった。

幸せだった過去を思い出して思うこと。
消えそうな幼少期の思い出を、この記事を書くことで私は思い出してきました。
幼少期から、私はお姉ちゃんであることが嫌でした。
でも覚えている一つ一つの記憶を思い出してみると、
私はやっぱり愛されていたんだなあと思います。
祖母にしても父にしても母にしても、
やっぱり私のことを大事に思っていてくれたんだなあと思います。
そして自然がいっぱいの離島で暮らせたことが、私の心を豊かにしてくれたと思います。
出会った様々な生き物、そして海や川や山に触れることができたことは、
私の心を守ってくれ、さらなる意欲を引き出してくれました。
本当は、すぐそばにある幸せが見えていないだけかもしれない。
とても難しくて、厳しいことかもしれません。
とても辛い状況だったら、幸せだって思えないかもしれません。
でも、どんな状況であろうとも今を生きているのなら、
小さい小さい幸せを見つけましょう。

人間は困った時失った時にその有難さを感じます。
病気をしたら、健康のありがたさ。
離れて暮らしてわかる、親のありがたさ。
断水したら、水が飲めること、汚れを流せるありがたさ。
停電したら、明かりがつく、クーラーが使えるありがたさ。
家がなくなったら、心地よくいられる空間のありがたさ。
無意識に当たり前にできることは、本当は奇跡なのかもしれないと思います。
当たり前にできることの裏に、
どれだけの自然の恵みや人の思い、エネルギー投じられているのでしょうか?
もし今当たり前の小さなことに、ありがとうと言えるなら、
もう今の瞬間から何かが変わっているはずです。
そしてまた、小さなありがとうと言えるものを引き寄せていくはずです。
今回も最後までお読みいただき、ありがとうございました。