今、子育て一段落なんですか?
はい、そうなんです。
私まだ、子育て終了ではないんです。
一段落なんです。。。。。。。。
今回も今現在の私のプロフィールについて、ご紹介していきます。
今の私の家族は、標準ではありません。。。
プロフィールにあるように、今現在私は、夫と息子2人の4人家族です。
長男は28歳、次男は25歳です。
もう息子たちも成人したから、子育て終了だね、と言いたいところですが違います。
次男は会社員ですが、長男は訳あって無職です。
まだまだ完全に自立していません。
次男は近い将来、家を出るとのことなので、完璧に自立となる予定です。
しかし、長男は今現在働けていません。
まだまだ自立までは程遠いです。
だから、子育て終了ではなく、一段落なのです。。。
なぜ長男がそのような状態かを、次に書いていきますね。
長男は一歳半の健診で、ひっかかりました。
私に初めて授かった赤ちゃんは、いつも泣いてばかりで、とても育てにくかったです。
初めての子育てで、何もわからず、いつも不安でいっぱいでした。
そして長男は一歳半の健診で、ひっかかりました。
母子手帳によると、
- 一歳半頃:発語が見られる。(パパとか、ママなど。)
- 二歳頃:二語文を話し始める。(イヌきた、外いくなど。) とあります。
長男は一歳半頃、発語がありませんでした。
二歳健診で、引き続き様子を見ましょうということになりました。
でも長男は二歳になっても、「ナァー、ナァー。」しか話しませんでした。
これは高い所にバナナがある場面で、「ママ、バナナとって。」の意味です。
これが言えなくて、バナナのナァーを言っていたのです。

その時長男は、私の手をつかんで、高いところにあるバナナを指していました。
これをクレーン現象というそうです。
(自閉症スペクトラム症の子どもによく見られるそうです。)
その後も、話すときに視線が合わない、集団生活でも指示が通らない状態でした。
保育園でも、発達の遅れを指摘され、小学校も特殊学級に在籍していました。
正式には、小学生の時に発達障害と診断されました。
障碍児と言っても、症状は様々です。
長男は、学校の集団生活から外れるような行動をとっていた。
長男は学校の集団生活では、他の子と違う行動をしていました。
だから、とっても目立っていました。(真夏の暑い日に長袖を着る、授業妨害をするなど。)
授業参観に行くと、いつも落ち着きなく変な行動をしていました。
だからいつも私は、他のお母さんに謝っていました。
母親としては、
とても恥ずかしく悲しくて胸が引き裂かれるような、思いでした。
でも長男は、学習することはやっていた。
ですが、長男は文字は読めるし書くことができます。
計算もできます。
成績は悪いですが、勉強は何とかついていけました。
でも体育は苦手で、体の使い方も不器用でした。
振り返れば変なのですが、友達と遊ぶより宿題をやっていました。
(あれ、なんか私の小さい頃に似ている。。。。。)
勉強にはついていけるので、小学3年からは普通学級で授業を受けるようになりました。
でも授業妨害をするので、先生がとても困っていると、連絡を受けました。
それで、保育園の保母さんや、関係する先生方全員集まって会議をしたこともありました。
長男は、幼少期からずっと発達検査を受けていた。
幼少期から、障碍児ということで
地方自治体の療育機関でずっと発達検査を受けていました。
発達障害は、その時その時で診断名が変わっていきます。
そして正式に小学校2年生の時、
「広汎性発達障害/知的に境界域」と診断されました。
問題は色々起きていましたが、宿題は自主的にやっていました。
そして小学校4年生の終り頃には、
「高機能広汎性発達障害(高機能自閉症)/知的には正常範囲」
と診断されました。
中学校以降は、障碍児ではないかも、と思ったりもした。
発達検査の結果、
対人関係やコミュニケーションに障害やこだわりが見られると指摘されていました。
長男は、友人関係を築くのが苦手だった。
当然、何か他の子とは違うので、いじめの標的に何回もなりました。
その度に私は、いつも学校の先生に相談にいきました。
いつも学校に相談に行っていたので、
先生方にも長男のことを理解してもらうことができました。
いじめられて辛い時は、職員室や保健室に逃げてもいいよということになり、
何とか学校は卒業することができました。
ですが、やはり長男は心に傷を負っていました。
いじめを恐れ、いつしか一人で行動するようになっていった。
だからいじめられないように、
友達と交流せず、いつも一人で行動するようになりました。
その分長男の時間とエネルギーは、学校の勉強に注がれるようになりました。
そして、高校、大学と何とか卒業することができました。
何もトラブルが無いから、良かったわけではなかった。
でも、普通の子はその頃には勉強もするけど、
他の人と交流し、楽しく遊んだりケンカをしたりすると思います。
そうやって、人間関係を学んでいくのです。
長男はそういう経験が極めて乏しかったです。
いつも一人だから、他の人とトラブルもない。
だから親の私も、
学校の成績は良い方だし他に問題がないので、
長男は、ただ個性が強いだけかも、と思ってしまったのです。

次男は勉強は嫌いだけど、友達といつも遊んでばかりいました。
次男は対人関係を築くのが得意ですが、成績は長男より悪いです。
私の息子たちは、同じ兄弟でも全くの正反対です。
長男が就職してそれは覆された。やっぱり発達障碍児だった。
私は長男が発達障害だから就職に困るかも、と心配していました。
でも勉強は嫌いではないから、何か資格でもっとって働けたらいいなあと考えました。
やはり、資格を取っただけでは仕事はできない。
資格があれば就職に困らないだろうということで、長男は医療系の資格が取れる大学に進学しました。
国家資格を取れば就職には困らないかなあと、私の浅はかな考えがありました。
長男は勉強が好きな方だったので、一人で淡々と勉強し国家資格を習得しました。
資格が取れたので、病院に就職しました。
ですが、就職して実際に働いて、問題があらわになりました。
長男は机上の勉強ができるだけだったのです。
勤労生活に必要なスキルを身につけていないことに気づかされました。
対人関係の苦手意識が、ますます長男を追い詰めていった。
就職して、本人は真面目に頑張るけど、
「同僚に比べて仕事ができないね」と上司に言われるようになりました。
ここで普通なら、同僚に助けてもらったりして乗り越えることもあるかと思います。
ですが、長男は同僚とも世間話もできなかったのです。
ある時から、どんなに仕事を教えられても、頭真っ白で行動できなくなりました。
そしていつも怒られていて、とうとう心も壊れてうつ病になってしまいました。
そして病院をわずか半年後に休職し、その半年後に退職しました。
発達の問題、そして対人関係のスキルを身につけていなかったことがあらわになったのです。
そして、長男の心もますます「俺はダメ人間なんだ」と思うようになったそうです。
まだまだ子育てを終了とせずに、見守っていこうと思います。
母親として、
もっと本人の発達の状態や心の状態を、理解していれば良かったのかもしれません。
悔やんでも仕方ありません。なってみないわからないこともたくさんありますよね。
今後長男は、発達障碍者ということを公表していくということです。
(就職の時は公表していなかったのです。)
今となっては、間違いの許されない医療職は
長男の状態から考えたら無理だろうと思っています。
無理をしないで、目の前のできることをやっていけばいいのではと思っています。
そして何よりも長男の心が満たされることを大事にしていきたいと思います。
私が長男の子育てで、できなかったことです。
長男の心が満たされるような育て方とは程遠いものでした。
私自身が不安でいっぱいでしたから。。。。

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