もしも退院できるなら、一刻も早くお願いします、と願い出た夫。
入院して、夫の命をつないでいただきました。
本当にありがたいです。
五十数年生きてきて、夫にとっては初めての入院生活だそうです。
この初めての体験で、感じたものがあるようです。
5日間の肺炎治療で、夫の体は回復に向かった。
まずは、夫の主症状である肺炎を、治療していただきました。
5日間、ステロイド系の薬剤の点滴を受けたそうです。
何日かごとに、肺の状態を把握しながらの点滴でした。
5日の点滴が終わるころには、肺も回復しているとのことでした。
しかし、問題が発生しました。
このステロイド系の点滴の副作用で、体内に血栓が生じている疑いがあったそうです。
点滴から3日目の血液検査で判明しました。
よって、その後はずっと、血栓を予防する薬を服用するように言われたそうです。
入院中の日常生活、食事は?
発症から13日目の9月9日、入院から2日目、
やっと解熱剤なしで熱が下がったそうです。
熱が下がると、食事が7割ほどとれるようになったそうです。
食事ができるようになったと聞いて、妻としては、
ほっとしました。
とにかく、発症からこれまでの間、ろくにご飯を食べたいとは思わなかったそうです。
前半は、水だけを飲んでいた、記憶があるとのことです。
ホテル療養時、配布される弁当は、高熱により食べる気がしなかったそうです。
きっと高熱で、食べれないだろうと、私は下記の物をホテルに送っていました。
ゼリー飲料、お椀、スプーン、お茶づけのり、レトルトのお味噌汁です。
これはホテル療養された方が、こんなもの欲しかった、とネットで投稿された情報でした。
夫としても、お椀とスプーン、お茶漬けのりは助かったと言っていました。
弁当は冷たいし、ご飯もかたくて、食べれなかったそうです。
ホテルには湯沸かしケトルがあったので、弁当のご飯をお椀にいれて、お茶漬けにして食べたそうです。
熱が下がると、当然食欲が出てきます。
ホテル療養時と違って、病院の食事は温かいそうです。
病人の体に合わせた、体に優しい味付けになっているそうです。
当然、味付けは薄く、量は少なめだそうです。
夫は、寝たきりの病人の方を前提に作られている食事だった、と感じたそうです。
だから、回復して食欲が出てくれば出てくるほど、
夫は、物足りなさを感じるようになったそうです。
入院中の日常生活、トイレやお風呂は?
発症から、これまでの間、夫の体は辛い状況にありました。
しかし、トイレは自力で行くことができたそうです。
排泄も特に何も、問題はなかったそうです。
洗面やお風呂は?というと、
発症から11日目の入院時までは、2、3日に一回着替えだけしていたそうです。
発症からホテルに移動するまでは、体が辛くても、洗濯はしていたそうです。
ホテルには、下着は多めに持って行ったそうです。
入院すると、パジャマが借りられて、2日に一度替えてくれるそうです。
発症から15日目、入院から4日目に初めてシャワーを浴びたそうです。
このトイレ、シャワー時に
つながれている酸素濃縮器を外し、心電図を外していたそうです。
入院中の日常生活、時間がある時、何をしていた?
入院とは、とにかく病気を治すことが最優先です。
体調把握のために、常時、
酸素濃縮器と心電図を測る装置は体につけられています。
だから、あまり自由に動き回ることはできません。
体がきつい時は、何もする気もなく、寝てばかりいたそうです。
テレビを見るのもきつくてできなかったそうです。
電話で、私と話すのも辛い状態でした。
ですが、体が回復するにつれ、テレビを見ることができるようになりました。
私と、少し長く電話で話すことが、できるようになりました。
そして、時間があって、暇だなと思うようになったそうです。
病室には、窓がありました。
夫がいた部屋は8階だったそうで、見晴らしは良かったそうです。
回復すると、窓の外を見たり、ネットやテレビを見たり過ごしていたそうです。
ですが、病院内でも完全隔離なので、気晴らしに病院内をうろつくことはできないのです。
そして、やっと退院が見えてきた。
治療のお陰で、夫の体は回復してきました。
発症から13日目の9月9日以降、解熱剤なしで、ずっと熱が下がったままでした。
発症から20日目9月16日、肺炎の点滴終了から3日目、
やっと、酸素濃縮器が外れました。
酸素がなくても、酸素飽和度が97%保てるようになりました。
点滴終了後の検査で、夫の体にはもうウイルスがいないことがわかりました。
よって、抗ウイルス薬の5日間の点滴は、不要になったそうです。
ただ、血栓ができる恐れがあるので、血栓予防の薬はずっと飲むように言われたそうです。
体が回復したからこそ、このままではいけないと思ったそうです。
体が回復すると、感じるものも変わってきます。
夫としては、
回復してずっとこの入院生活だと自分の精神がやられる、と感じたそうです。
ずっとこの病室に閉じ込められているなんて、嫌だ。と。
命をつないでいただいて、ありがたい入院生活なのですが、
やはり、当たり前の普通の生活がしたい、と思ったそうです。
当たり前の、普通の今までの生活が、
どんなに幸せだったのだろうと感じたそうです。
機械を外して、自由に体を動かしたい。
心電図のアラーム音なんか、聞きたくない。
食事ももっと味の濃い、ボリュームのあるものを沢山食べたい。
ゆっくりお風呂に入りたい。
外の空気を吸いたい。
早く家に帰りたい。
歩きたい。
そして、お医者様から、
「そろそろ退院も考えてもいいですね。」と言われたそうです。
夫は、
「できるだけ早く、一刻も早く、退院させてください」と申し出たそうです。
そして、発症から22日目の9月18日、朝から私の電話が鳴りました。
「急遽だけど、今日退院して、家に帰ってきてもいいかな?」と。
その日は千葉県に台風が上陸すると言われていた日なんですよね。
びっくりです。
「えー?台風も来ているのに、その病み上がりの体で本当に家に帰って来れるの?
電車は動いているの?大丈夫ならいいけど、心配だなあ。」と私は言いました。
夫は「大丈夫、絶対に帰ってくるから。」と。
そして、私は夫の帰りを待つことになったのです。
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