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私の恥ずかしい過去③「天理教の詰所に泊る」

2024年3月14日

凝りもせず、私は天理教の詰所にも泊ったこともあります。

前記事にも書きましたが、私はどうしてもこのようなものに首を突っ込む、変人なのです。

人の人生には必ず壁があったり、

自分がどちらに進めばいいか方向性を見失うこともあります。

私はいつもそのような時、占いなどから解決の糸口を探そうとしていました

この記事ではふと立ち寄った手相占いから、

天理教の詰所に泊るに至った経緯と、自分の考えを綴ります。

今の私は天理教とは関りはありません。天理教と関わったのはほんの数日です。

今から30年ほど前のことを、思い出しながら書いています。

これは、前記事の統一教会の話がある前のこと、になります。

お知らせ!

当ブログは、近々noteへ引っ越し予定です。

万が一、記事が見られなくなったらスピルのnoteまでお越しください。

準備が整い次第、ご覧いただけるかと思います.

🌟スピルのnoteはコチラです。

今後の私の結婚はどうなるのか?手相占いでみてもらう

今から30年ほど前、S君と別れて、再就職した私は22~23歳でした。

結婚相談所に登録するかしないかの頃の話です。

まだ夫に出会ってない頃です。

S君との別れが知りたい方は下記をクリックしてください。↓↓↓

車の助手席の髪の毛は、S君の新しい恋人の髪の毛

別れを受け入れられない私の醜態とS君の言葉

毎日勤務が終わると私は駅に向かって、歩いて帰っていました。

週に2、3回ほど路上で明りを灯し、座っている人がいました。

年は30代後半の男性で、いつも紺色の作務衣を着ている顔の整った人でした。

座っている人のテーブルの前に「手相占い 3,000円」という張り紙がありました。

手相占い

私は何度も見て通り過ぎましたが、ある日その人に手相を見てもらうことにしました。

なぜなら3000円で安いし、占いの中では手相はなかなか当たる!と思っていたからです。

私の鑑定結果は、「別れの因縁がある」

私の手相を見てもらって、ずばり一言「別れの因縁がある」と言われました。

今思うと、確かに当たっていると思います。

実際に私は、せっかく結婚して子供をもうけたにも関わらず、離婚したからです。

私の手相は下記のような手相でした。

  • 結婚線がすっきり1本だけではなく、両手に何本もある。(右手に2本・左手に3本)
  • 結婚線一本がきれいな線でなく、横切る線・二股に分かれた線・島になった線がある。

また私の手相は、生命線・頭脳線・感情線のスタートが全部離れている珍しい形だそうです。

つまり一般的ではない変人だという事みたいです。

男女の別れ

占い師は私の手相を見て、

占い師
占い師

遠距離恋愛して別れたでしょ。

と言われました。

確かに当たっています。

そして私は、

私<br><br>" class="speech-icon-image"></figure><div class=

今後、私の結婚はどうなるのでしょうか?

占い師
占い師

・・・・・・あなたには別れの因縁があるから、運命の勉強をしていった方がいいでしょう。

勉強してみませんか?

私

えー、別れの因縁?あ、はい勉強してもいいです。

占い師
占い師

それでは○月○日の〇時に、そこの駅で待っていますので、来てください。

勉強会は1泊2日になりますので、準備してきてくださいね。

という事になりました。

その頃の私は、怪しいとか危ないとか何も考えていませんでした。

今思うと、男性だし警戒した方がいいのに、、、と思います。

むしろどんなことを勉強するのだろう?とワクワクしていました

占い師に案内された場所には、見たこともない光景があった

約束の日、その占い師の人と駅で待ち合わせをし、列車に乗りました。

親には友達と旅行に行くと嘘をつきました。

道中その占い師の人と話をして、初めて天理教の施設に行くことがわかりました

その占い師は天理教の信者で、占いを通して布教活動をしているようでした。

私が住んでいる県の隣の隣の県に、大きな施設がありました。

近代的な建物ではなく、和風建築と言った感じです。

神殿

まず、案内されたのは大きなお座敷で、その奥に神様が祀ってあるようでした。

そしてそこには、沢山のハッピを着た人たちがたくさんいました。

そして何やら太鼓などが鳴り響き、祝詞のようなものをあげていました。

訳が分からないのですが、踊りをするような人もいます。

私はどうすることもできないので、

ひたすら座って、周りの人が拝礼する時に合わせて拝礼をしました。

見たこともないような光景に圧倒されました

お祈りが終わると、別の部屋に案内されました。

人を助けて我が身助かる、という事でハッピを渡され台所へ案内される

別の部屋で、簡単に天理教についての教えの話がありました。

天理教の教えでは、

自分の我を立てずに、人のために祈り働くことで、いつの間にか我が身が助かる

という事らしいです。

下記が天理教のHPです。↓↓↓

https://www.tenrikyo.or.jp/

そして紙に、天理教の教祖中山みき という人の教えを書き写してください、と言われました。

私は後日、この紙を大事なノートに書き写しました。

ですが残念なことに、今はこのノートは持っていません。

中山みき という人が言った「女の通るみち」という題名の教えを書き写しました。

書き写しが終わると、私はハッピを渡され、台所に案内されました。

施設をあちこち移動すると、このハッピを着た人たちが、沢山働いていました。

大きな荷物を運んだり、外回りを掃除していたり、床を雑巾で拭いていました。

私が案内された台所には、ハッピを着た女の人達が大量の料理をしていました。

そして、占い師の人から、

占い師
占い師

あなたも、自分が助かりたいのなら、人のために働いていきなさい。

そうしていくと、いつしか助かるものです。

働くとは、ハタが楽になるという事です。

他者に楽になってもらうために働くのです。

みんな他の人が楽になるように、自分の持ち場で働いているのです。

ここまで来たので、私は嫌とも言えませんでした。

台所の女の人に指示をあおぎ、言われるとうりに仕事をしました。

正直料理もあまり慣れていないし、作る量は大量だし、とても疲れてしまいました。

内心、

私

あー。。。来るんじゃなかった。

と思いました。

でも周りを見渡すと、みんなハッピを着て、一生懸命働いていました。

こんな光景を見たのは初めてでした。

占い師、自分の境遇を語る

やっと台所の仕事が終わって、ご飯を食べ、入浴したころには、体がくたくたになっていました。

いきなり知らない所にきて知らない人たちに囲まれて、

やったこともないことをやって、とても疲れました。

交通費は自分で出しましたが、

この施設に泊ったり食事したり入浴したりするすべての料金は、占い師が出してくれたようです。

寝る部屋を占い師に案内された時、占い師の人が自分の境遇を語り始めました。

占い師
占い師

今日はどうでしたか?

私

イヤーちょっと疲れてしまいました。。。。

占い師
占い師

実は私は妻と離婚して3年になります。

そして自分が結婚した時の写真を私に見せてくれました。

結婚
占い師
占い師

もう少し早く、この教えに出会っていれば、、、と思います。

悔やんでも仕方がないので、私はここで働かせてもらうようにしているのです。

こうやって喜んで働くことで、運命が変わっていくのです。

あなたもまた、ここに帰ってきてくださいね。

きっと親神様が喜んでくれると思います。

私<br><br>" class="speech-icon-image"></figure><div class=

そうなんですね。

今後のことは、、、ちょっと考えさせてもらいます。

私は内心、「こんなはずではなかった」と思っていたので、

もう来ることはないだろうと思っていました。

ですので、ちょっと考えるという返事をして、天理教には首を突っ込まなくなりました。

占い師の方からその後、電話がかかったり、強引な誘いを受けたりはしませんでした。

自然と、この天理教からは遠ざかっていきました。

当時の私には、人が楽になるために働く、などという考えは全くありませんでした

自分が助かればそれでいい、なぜ人のために働かなければならないのか?意味がわかりませんでした。

時を経て、後ではっとさせられた『中山みきの「女の通るみち」』

この時に書きうつした「女の通るみち」は、

天理教の人から、毎日読んでくださいと言われていました。

今は、書き写したノートはありません。

勉強

しかししばらくは、毎日読んでいたこともありました。

毎日読んでいたこともあって、内容はなんとなく覚えています。

正確な言葉は覚えていませんが、内容は下記のようになります。

                 女の通るみち

女が幸せになるみちは、我をたてず、はい、と言って通らせていただくこと。

男は天で、女は地であるから、男を立てて通らせていただくこと。

我をたてて、売り言葉、買い言葉、切り言葉は言ってはならない。

言葉の使い方にも注意をすること。

どんなことがあっても、どんなに苦しくても、

はい、と言って低い心で、そのみちを通らせていただくのだ。

はい、と言って笑顔で低い心で通らせていただくと、いつしか幸せなみちになっていく。

と正確ではありませんが、要約するとこのような内容だったと思います。

当時の私は、ちょっとこんなこと聞いたことがないので、珍しいなあと思って読んでいました。

そして次のようにも感じました。

  • 男を立ててとか、ずいぶん男尊女卑の考えだなあ。
  • 何でも、はい、と言ってみちを通るとか、そんなに女性は耐え忍ばなければならないのか
  • どんなみちでも、笑顔ではいと言って低い心で通れる人、そんな人いるはずない!
  • 私にはそんなことできそうもない。
仕える女

そして数年たって、私は夫と結婚し2人の子供を設けました。

それから4年で離婚となりました。

この離婚した時に、また再婚して数年たったある事件に遭遇した時に

私はこの、「女の通るみち」をふと読み返すようになったのです。

そしてこの時、私は「女の通るみち」の内容が、少しばかり理解できるようになりました。

今後いつかまた、「女の通みち」について触れていきたいと思います。

今回も最後までお読みいただき、ありがとうございました。